そんなこんなで、病みまくっていた私ですが。もはや何に病んでいるのか不明でした。
ただ、わたしのヴァータは完全にぐっちゃぐっちゃに乱れまくっていました。
食べなかったスナックに手が伸びたのも、朝起きれなくなったのもこの時期。
調子のいい時はほんと最高( `ー´)ノで先生に話しかけたりしていたのに
次の日の調子が悪い時は全く話さなかったり。浮かない顔してご飯食べてたり。
完全めんどくさい。w
でもほんのちょっぴり楽しんでいる不思議な感覚もありました。
謎の自信。です。はい。現実だけど、ここはあくまで通過点であって、余裕という感覚。
あんなに自分らしくいることがすごく心地よくて、自分のことを大切にしていく。
直観を大切にしよう。
とか言っていたけど、今の自分は何なんだろう。
結局人と比べて、どう思われてるかすごく気にしている自分に戻っていた。でも何故だかわからない。
もう迷子。
しかも謎にほめられたかった。
そしてすごく仕事がしたくなっていた時期でした。
そんな時にフィリピンの語学学校を訪問していろいろ回って情報サイトを運営している方たちがいらっしゃるんですが、
うちの学校にも2、3日滞在された時があり、ご飯タイムの時に少しお話しを聞けるときがあり。
そのとき少しだけお話しできたときに、ちょっとふわーっと楽になりました。
何の話題だったかはちょっと忘れましたが、、
言われたことは覚えています。
どんな自分も受け入れることってできてそうでできてなかったりして。
日本人は働くことがすごく好きでしょー?
って。
フィリピ―ノって彼女に振られたことで自殺する人がいるみたい。もう生きていけないって。
日本じゃありえない。
私も落ち込んだ時って仕事に没頭してた。。
でもフィリピ―ノからしたら、過労死とか仕事で亡くなったり自殺する日本人がわからないって。
なんでやめないの?そんなにしんどいならやめればいいやん!って感覚。
私もフィリピ―ノはすごく毎日楽しそうで、貧富の差とかいろいろあるんだろうけど。
でもすごくエネルギーがある街だなーって。
その人の目もすごくきらきらしてて。うらやましかった。
仕事してなくても、どんな時も、ちょっとづつ受け入れることがだんだんできるようになってくるから。
まだまだゆるせてないのかもね。そこをのりこえる受け入れる自分になれたらいいよねー。
あんなに自分で散々言ってたのに、わかってたはずなのに、
本当はわかってなかった。
人の目を気にしなくなってわかった風で
わたしもやっとそんな風になれました。風 だったのかも←ややこしい。
正直に言えば、
英語って簡単にぺらぺらー、余裕だと思ってた。。
最初に書いたように。
舐めてました。
だってわたしのあほな友達もペラペラやねんもん。私にできないはずがない。っつてね。
復習もろくにしてなかったのに。
全然話しかけてなかったのに。
穴があったら入りたい。くらい。はずかしい。
ごめんなさい。
なのに、わからないとかゆってすぐ悔し泣いたり、スタッフさんにわからんわからんって詰めたり。
がんばってるねってゆってもらいたかったんだろうね。
スーパーめんどくさい。私。
いろいろ周りの人にも協力してもらい、やっといけたフィリピンだった。なのに。
途中からなんか全く楽しくなくなっていた。当たり前だけど。目的だった英語力も上がったのかわからない。
部屋にこもりだした。こもりん。
もう日本に帰りたい、でもフィリピンで得たと言えるものがまだ何もない。てか英語話せてない。このままじゃ帰れない。って勉強の仕方も知らないくせに。
直観を信じてフィリピンにきてみたものの、なかなかうまくいかない。
勉強してないから当たり前なのに、できてる人と比べてかってに落ち込む。
あげくに直観を信じた自分の直観をすこーしづつ無視して、
ちょっとづつだから大丈夫。。って
自分が今本当は何をしたいのか、本当にここにいたいのか、
本当に心地よく感じているのか、というのもちょっとづつ無視して、
「こんなの私じゃない。違う違う」って、自分で自分のこと無視し始めた。
まさにそのときの私は、
変態。完全にマゾ。
うまくいかない。こんなの私じゃない。って一人でコント。
でもぜんぶやめたー。やめだやめだーい。それってわたしじゃないし。
つまりは
ただうらやましかった。
英語が話せる人がうらやましかった。だってかっこいいし。
慣れ親しんだ母国語じゃないことばで、海外の人と仕事をしたり、見たり聞いたり。
そこはどんな世界なんだろうって。知りたかった。
ただそれだけ。
英語に対して明確な目的やこうなりたい願望はあるようで今のところない。
漠然と、未来の私は海外で活動してる。今やるべき。という直観を信じてフィリピンに来た事。
そしたら、基礎から全然わかってませんでしたー。
やっべー。SVOってなんですか?
そこに自信を持つことができた。
だってないんだもん。しゃーない。
同時期に三か月ですごく伸びてる人がいて、うらやましかった。比べてしまってた。
でも自分はよくわからない。
その
できない自分を認めたとき、すごくすごく楽になれました。
勉強してこればよかったけど、どうせしない。私の場合。
だから
絶対いつ来てもこの結果だったっことに変わりはないから、早くてよかったとも思ってました。
ぽろぽろと手のひらからこぼれ落ちたものが、ちょっとづつもどってきました。
人と比べて落ち込んでるけど、そんなに人は自分のこと気にしてないし、
気にしてる、見えてるってことはその人と自分は同じであるってこと
この感覚が戻ってきたときが一番復活しました。
全部のスケジュールを変えて。
捨てた。
payしてクラスも増やしてみた。
最初はしんどかって、体力きつくて眠くて、クラスふやしたのちょっと後悔して楽しくなかったけど。
慣れって強い。
もう毎日の授業もたのしくて、音読する相手も自然とできて。毎日一緒にしてくれてありがとうって思えるようになった。
手放すと入ってくるって事。改めて体験。
ここにこれたこと、勉強できたこと、ど基礎もしらない私に教えてくれる先生に感謝してました。
ここのスタッフさんとは直観やフィーリングが合ったんだけれど。
この時期一緒になった生徒さんは、異なる人たちが多かった。
乱されました。いや私が勝手に乱されてただけ。そういうタイミングだっただけ。長期間生活。
その人たちがいけないことは何一つなく、私も悪いことは何一つない。
共に存在するだけ。それが調和
乱れている時って無駄なエネルギーに気付けない。必死だから。
から余計するするこぼれていく。
すべての音も声も行動も否定しなければ、ただみつめれば。調和される。
忘れないように。忘れてしまっても。流れにまかせればどちらも必然。